クメール人に関する質問
カンボジアについて
場面に通信用の鉄塔の建設中に鉄塔に上っている人にクメール人の難民の人が地名はうる覚えなのですがたぶん「そこからプノンペンは見えますか?」ときいて鉄塔の上の人が「はい見えます」といって歓声が起こったとか
中国人に「あなたはベトナム人?」と訊くのは失礼ですか?
はハルピン出身のれっきとした中国人留学生(19歳)だそうです。顔は青山テルマに似ていました。中国人をベトナム人と間違えるのは、失礼に当たるのでしょうか?それならば逆の場合、ベトナム人を中国人と間違えるのはどうなのでしょ
クメール語の二重子音の表記
クメール語の二重子音では、後の子音が脚になると理解しています。しかし、笑う(ニョニュム)や固まる(コーク)は、二つ目の母音がいずれも脚になっていません。これは、なぜでしょうか?ご存じの方がいらっしゃい
朝日新聞記者 和田俊記者
みなさんはカンボジアの例の事件について、和田記者はなぜあのような記事を書くにいたったのだと思いますか?彼はこのあのような記事を書かざるをえない状況にあったのでしょうか。あるいは実際になにかを感じ取ったのでしょうか。ただ単に話題性
ベトナムの国の人達は
日本という国の国民をどう受け止めているのでしょうか?中国や韓国のように反日感情的なのでしょうか?ベトナムの方とメ-ル交換をしてるものですから、仲良くなりたいので宜しくお願いします。
クメール人関連エントリー
クメール人女性のアソコ
JUGEMテーマ: 旅行 今回はクメール語(カンボジア語)講座です。 (下品すぎて タイ語講座 にはアップできないので) イサーン(タイ東北部)の一部地方では、 イサーン語でなくクメール語を話す地方もある。 ...

クメール人の開放
相変わらず省電力モードです。 偽林檎 パッチ はしばらくお待ちください。 閑話休題 マイコミジャーナル より。 qmail の ソースコード が、改変不可から パブリックドメイン に移行するようです。 ...

クメール人の逆襲
…って、 先週既にスラドでストーリーになってる じゃないか。 最近遅れ気味です。 カポシッ 。 ちなみに、 DJB の人柄ついては次のサイトあたりを参照のこと。 djb はいったい何を考えてるのか ホント、ステキな人です。

サヨクが卒倒するマルクス・レーニンらのお言葉
... 67 :B75 ◆LgNBT1a0O6 :2008/03/08(土) 15:03:08 おまえら何処のクメール人だよwww 68 :革命的名無しさん:2008/03/08(土) 15:37:39 「人々を処刑せよ。裁判は必要ない。 法律の手続きはブルジョアの遺物だ。 これは革命だ。 ...

クメール人旅行記
アンコール遺跡訪問 (1)(by tetsu60さん)
旅行会社から届いたメールを開くと、最近の原油価格低下と円高の影響を受けた極めてリーズナブルな価格の海外ツァーの案内があった。 この冬場に北半球はとても行く気はしないが、暖かいところはと思って眺めていた中で目に留まったのがアンコール遺跡、アンコール遺跡観光は前々からの念願でもあった。 これまで海外へは主としてヨーロッパを回っていて…元気なうちは遠いところへと考えて…アジアはもっと先のことと考えていた。 が、3泊5日、全食事つき、ホテルワンランクアップ、添乗員付き、燃油サーチャージ込みで10万円を僅かだが切る(もちろん空港施設利用税、ビサ発行手数料などの費用は別にかかるが、それにしても安い。)といううたい文句に吊られて行く気になった。 福岡のカンボジア名誉総領事館でビサを取得。
(行 程)
1日目 :福岡→ホー・チ・ミン乗継(ベトナム)→シェム・リアップ(カンボジア)泊
2日目 :ロリュオス遺跡群(ロレイ、プリア・コー、バコン)→オールド・マーケット→休憩→アンコール遺跡群(プラサット・クラヴァン、東メボン、バンテアイ・スレイ)→プレ・ループ遺跡夕日鑑賞 泊
3日目 :アンコール・ワット朝日鑑賞→ベン・メリア→休憩→アンコール・ワット→アプサラ・ダンス鑑賞 泊
4日目 :アンコール・トム→休憩→アンコール遺跡群(タ・プロム、プリヤ・カン、ニャック・ポアン)→シェム・リアップ空港→ホー・チ・ミン乗継
5日目 :ホー・チ・ミン→福岡
12月21日(日)
朝9時30分福岡空港国際線ターミナル集合。 旅行会社の受付には次々に人が詰めかけている。 このツアーの参加者は総員32名、多い! 男性10名、女性22名、圧倒的に女性が多い。 母娘の親子連れで来ている人が多いようだ。
ベトナム航空で福岡を発ち、ベトナムのホー・チ・ミンのタン・ソン・ニェット空港でトランジット(が、なんとこの空港で4時間の待ち時間、帰りも同じ)、そしてカンボジアのシェム・リアップ空港に到着、小さな空港だが建物はパンフレットなどで見かけるカンボジア風の味わいのある建物。 現地ガイド君(この旅行でずーっと一緒)が迎えに来ていた。 夕食後ホテル・エンプレス・アンコールに入ったのは21時頃。
カンボジアは王国、面積18万k㎡(日本の約1/3)、人口1,300万人、人種はクメール人、ほとんど平地で国のほぼ真ん中近くをメコン川が北から南へ貫いている。 カンボジアの始まりは1世紀末インドシナ半島の南部で起きた扶南といわれている。 その後6世紀中頃メコン川中流域でクメールが起こり扶南を滅ぼした。 9世紀初頭ジャヤ・ヴァルマン2世がアンコール王朝を起こした。 12世紀頃のクメール王朝時代がカンボジアの最盛期でインドシナ半島の80~90%を支配していた。 15世紀前半タイのアユタヤ王朝がアンコールを攻略、アンコール王朝はプノンペンに遷都した。 宗教は現在は仏教だが、クメール朝時代はヒンドゥー教、クメール朝末期に仏教になった。
シェム・リアップは国の北西部に位置し、観光に依存する小さな町。 ラテン語表記でSiem Reap(現地の人はシーム・リープと呼んでいる。 Siemはシャム(現在のタイ国)、Reapは「治める、平定する」の意)、17世紀頃シャムに占領されていたこの地をクメールが奪還したことに由来するらしい(12世紀、14世紀、15世紀にシャムがアンコールを攻略・平定していたことに由来するとの説もあるが…)。 カンボジアとタイは古来から抗争を繰り返してきた、最近でも国境での紛争があった。 このような歴史的背景もあってカンボジア人はタイ人が大嫌い。
12月22日(月)
朝からよい天気、が、夜はちょっと寒かった。 今日から観光。 ホテルのロビーでは女性がカンボジアの民族楽器(なんという楽器だろう? 日本の琴をごく小さくしたような10数本の弦を張ったものを竹の耳掻きを大きくしたようなあるいは茶杓の少し大きなもので敲いて音を出す。)を弾いていた。 なんともやさしい音色。
朝食後バスに乗り込んでチケット売り場へ向かう。 アンコール遺跡は国の委託を受けた「アプサラ委員会」が一元的に管理している。 そしてこの委員会がアンコール遺跡観光のためのチケットを発行している。 チケットの目的はもちろん遺跡の保守管理のため。 このチケットは通用日数によるパスポート方式になっていてこのチケット1枚でアンコール遺跡のほとんどに入ることができる。 面白いのはチケット購入の際顔写真を撮られ、チケットに顔写真が印刷されること。 費用は結構高くわれわれは3日間のチケットだが40US$、首から提げられるチケットケースも一緒にくれるが…(ただし、このツアーの場合ツアー料金に含まれている)。 チケットの管理はかなり厳格で、遺跡の入口では必ずチェックされる、万一忘れたり、紛失した場合は再発行される(実費必要)まで遺跡には入れない。
さて、チケットも手に入り、ロリュオス遺跡に向かう。 ロリュオス遺跡はシェム・リアップの東方14kmくらいのところにある。 ロリュオスには3つの遺跡「プリア・コー寺院」「バコン寺院」「ロレイ寺院」のいずれもクメール朝初期(9世紀後半)に建てられた寺院がある。 ロリュオスはクメール王朝初期の王都だったそうだ。
まずはロレイ寺院の観光。 893年、ヤショ・ヴァルマン1世が築造したヒンドゥー教寺院。 かつて大きな貯水池の中の小島に建てられた4つの祠堂を持った寺院。 アンコール寺院のほとんどがそうだが、砂岩でできているため痛みは激しい。 今後見る寺院も同じ。 4つの祠堂の中心にはリンガが置かれ、リンガから四方に樋が延びていて聖水が流れるようになっている。 リンガとは、ヒンドゥー教の最高神シヴァ神(破壊の神であり創造の神)の想像力を現した男根型立柱。 祠堂の壁にはテヴァダー女神が飾られている、実に美しい姿。
※ テヴァダー女神はいずこの寺院にも飾られているが、あまり意味のある神様ではないらしい。 どうやら装飾用女神らしい。
ロレイ寺院の次はプリア・コー寺院の観光。 「プリア」とは「王」の意味だが「プリア・コー」は「聖なる牛」の意味を持つ。 879年、インドラ・ヴァルマン1世により両親のため建てられたヒンドゥー教寺院。 また先祖の王たちを奉るための墳墓寺院でもあったらしい。 アンコール寺院中最古の寺院。 6基の祠堂には漆喰によるレリーフが刻まれている。 寺院の前には聖なる牛の像が鎮座している。 祠堂のひとつで修復が行われていたが、大変な作業。
午前の最後はバコン寺院へ。 この寺院もインドラ・ヴァルマン1世が881年に造営したヒンドゥー教の寺院。 どの寺院もそうだが一般に寺院は池に囲まれているか、寺院の前後面に池がある。 この寺院も参道の両側に池がある。そして参道の両側には長さ20mくらいか?ナーガ(7つの頭を持った蛇の神様…生命力と不死をつかさどる)が置かれている。 この寺院は周囲1km弱平方の大きさで、ロレイやプリア・コーと異なり、5階建てのピラミッド型になっている。 祠堂は8基あり、中央祠堂は5階の中央にある。 階段はステップの幅は狭く勾配はかなりきつい。 5層目の回廊からの眺めは良い。
この後シェム・リアップに戻りオールド・マーケットで買い物。 ただし、添乗員の話では「高いものは買わないこと。 マーケットでは小銭で買えるものを買うこと。」 マーケットにはやはり土産物屋が多い。 銀製品なども売っていたが添乗員の忠告を守って買わなかった。
昼食後ホテルに戻り1時間半ほど休憩、午後2時頃から午後の観光に向かう。 このツアーではこれが日課。 日差しの強い中この日課はありがたい。 ホテルのプールでは西洋の観光客は泳いだり、ビーチチェアで寝たり。
午後の観光の初めはプラサット・クラヴァン寺院。 シェム・リアップから北へ8kmくらいでアンコール・ワット、そのアンコール・ワットから西へ2kmくらいのところのプラサット・クラヴァンはある。 921年にクメール王朝の高官により建てられた寺院。 この寺院はアンコールには珍しいレンガ造りの建物、それも焼きレンガらしい。 建物の形は比較的良く残っている。 この寺院のすばらしさは祠堂の壁面に残されたレリーフにある。 中央祠堂の北、南、西の3面の壁にはヴィシュヌ神の姿が刻まれている。 壁は幅10m弱、高さ10m強くらい、その壁一面に躍動するヴィシュヌ神の姿が浮き彫りされている。 すばらしい躍動感、筋肉の盛り上がりが見えるよう。 北の祠堂の西壁にはラクシュミ女神、南壁にはドゥルガ女神の姿が、壁一面に豊満な上半身をさらけ出して刻まれている。 アンコール遺跡にはレリーフが極めて多い。 この寺院のみならず他の寺院でもレリーフを見ているとクメール文化の水準の高さが伺われる。
※
ヴィシュヌ神はヒンドゥー教の三大神の2番目の神、世の中を救済、慈愛する神。
※ ラクシュミ女神はヴィシュヌ神の妻、美と豊穣と幸運をつかさどる神。 仏教に取り入れられて吉祥天となる。
※ ドゥルガ女神は美しいが恐るべき戦いの神。 10本の腕に武器を持つ。
プラサット・クラヴァンの北23~4km、シェム・リアップからは北北東35kmくらいのところにバンテアイ・スレイ(バンテアイは「砦」、スレイは「女」、つまり「女の砦」の意味らしい)がある。 ここに森の中にひとつだけ小さな寺院がある。 イシュヴァ・ラプラ寺院。 ラジェンドゥラ・ヴァルマン2世により着工、息子のジャヤ・ヴァルマン5世が967年完成させたヒンドゥー教の寺院。 プラサット・クラヴァンもこの寺院もピラミッド型ではない。 この寺院は赤い、赤色砂岩で造られている。 そしてこの寺院のすばらしさはその装飾にある。 三重の周壁に囲まれた祠堂まで外塔門、中塔門、リンガの並んだ参道を通り内塔門を抜けるが、塔門の柱や破風、経蔵や祠堂の外壁、切妻壁、いたるところに精緻な彫刻が施されている。 内塔門の内側にはサンスクリット語かクメール語か碑文が刻まれている。 中でも中央祠堂の入り口両側の壁に彫られたテヴァダー神の像は上智大学アンコール遺跡国際調査団団長の石澤良昭教授が「東洋のモナリザ」と賞した微笑を浮かべた表情と体を少しくねらせた柔らかい姿がすばらしい像。 が、あまりの評判で像の損傷を心配してか、現在は像には近寄れない、遠くから見るだけ。 この寺院には大勢の観光客が押しかけていた。
バンテアイ・スレイを後にしてアンコール・トムの東5kmくらいの東メボンへ。 この地域には2つの寺院がある。 どちらもラジェンドゥラ・ヴァルマン2世によって造られた、953年にできた東メボンと961年にできたプレ・ループ寺院である。 両寺院とも階段式ではないが大きなテラスを持ったピラミッド型の寺院。 東メボンはテラスの四隅に象が置かれている。 象はこの世とあの世のシンボルとされている。
プレ・ループ寺院は王を荼毘に付した寺院。 日没の光景を見るには絶好の場所といわれている。 われわれのグループが着いたのは夕刻5時過ぎ、中央祠堂前のテラスにはすでに大勢の観光客が場所取りをしていた。 日没は午後5時半過ぎ。 寺院から見える景色は小さく見えるアンコール遺跡を取り囲む森林の向こうに沈んでゆく太陽の光。
カンボジア王国旅行記(3):1月29日アンコールワット、アンコールトム(by 旅人のくまさんさん)
<2007年1月29日(月)>
この日の予定です。5時20分にホテル出発で、アンコールワットの日の出見学となっていました。4時半に目覚ましをかけました。昨晩、予定よりは1時間ほど遅れましたが、余り遅くない時間にホテルにチェックインできましたから、十分に睡眠をとることができました。
<アンコールワットの日の出見学>
迎えの車は予定通り5時20分にはホテルを出発し、もう2箇所ほど別のホテルを回って、アンコールトムへ向かいました。当然ですが、辺りはまだ真っ暗闇でした。
現地ガイドのペン・ホーさんの予測ですと、6時45分頃の日の出とのことでした。アンコール遺跡に入場するには、1日券か、顔写真を貼った3日券などが必要でした。その券の発行は、アンコールワットへの入口の建物だけで扱っていました。顔写真は、旅行社からお聞きして、日本を発つ時に用意していました。私の場合、ビザ申請の時の残りの写真で間に合いました。
朝日は、アンコールワットに向かって右手の林の上から顔を覗かせました。その前に空が茜に染まり始め、アンコールワットと高い椰子のシルエットが、何とも言えない異国情緒を醸していました。
<ホテルで朝食の後、アンコールトム見学へ>
最初にアンコールトム遺跡について、フリー百科事典の「ウィキペディア」を参照しながら説明します。
アンコールトム(Angkor Thom)は、アンコール遺跡の一つで、アンコールワット寺院の北に位置する城砦都市遺跡です。12世紀後半、ジャヤ・ヴァルマン七世により創建されたとされます。アンコールは、「大きい都市」を意味します。「アンコール」は、サンスクリット語のナガラ(都市)を起源とし、「トム」は、クメール語で「大きい」を意味します。
アンコールトムは、一辺3kmの堀と、ラテライトで作られた8mの高さの城壁で囲まれています。外部とは南大門、北大門、西大門、死者の門と勝利の門の五つの城門でつながっています。東西南北の四面には、観音菩薩の4面像が彫刻されています。
ホテルがあるシェムリアップからは、アンコールトムはアンコールワットより更に北側に位置します。途中まで、アンコールワットの日の出を見学した道を走ったようです。
<アンコールトム遺跡・南大門>
南大門といえば、韓国の国宝第1号の城門を思い浮かべますが、こちらも立派な南大門です。アンコールトムに五つある門の内の一つです。その城門は塔になっていて、頂部には4面菩薩像が飾られています。
門から堀を結ぶ橋の欄干は乳海攪拌を模したナーガ(大蛇)になっています。ナーガは、インド神話に起源を持つ、蛇の精霊あるいは蛇神のことです。頭頂に5匹の蛇を飾る人間で、下半身は蛇(コブラ)の姿をしています。天気を制御する力を持ち、怒ると 干ばつに、なだめられると雨を降らすとされます。
このナーガを引っ張る阿修羅と神々の像が、欄干に並んでいます。蛇の胴体部分が壊れて、それぞれが独立した像のように見えます。門に向かって右手が阿修羅、左手が神々です。アンコールトムを城砦としている、一辺が3キロの環濠は、広さが113mとされます。今は干上がっていて、水はありませんでした。
<アンコールトム遺跡・バイヨン>
バイヨン(Bayon)は、カンボジアのアンコール遺跡群のヒンドゥー・仏教混淆の寺院跡です。アンコールトムの中央に位置します。クメール語の発音では、「バヨン」の方が近いとされます。バは「美しい」、ヨンは「塔」の意味を持ちます。
アンコール王朝の中興の祖と言われるジャヤ・ヴァルマン七世がチャンパ王国に対する戦勝を記念して、12世紀末ごろから造成に着手したと考えられています。しかし、石の積み方や材質が違うことなどから、多くの王によって徐々に建設されていったものであると推測されています。
当初は大乗仏教の寺院でしたが、後にアンコール王朝にヒンドゥー教が入り、寺院全体がヒンドゥー化しました。これは、建造物部分に仏像を取り除こうとした形跡があることや、ヒンドゥーの神像があることなどから推測されています。
クメール様式とされる建築には、アーチ部分の石を水平に少しずらしながら空間を得る、擬似アーチと呼ばれる構造が多用されています。迫り出しアーチとも呼ばれます。アーチとの比較図を引用しておきます。(比較図:記載省略)
建築全体ではおおむね三層に分かれていて、高さ約43mの中央祠堂を中心に、その第1層に二重の回廊が配置された構造となっています。50近い塔と、百個以上の人面像があります。
第2回廊には、チャンパ王国との戦争の様子や、バイヨン建設当時の市場や、狩の様子等がレリーフに刻まれ、当時の庶民の暮らしを窺い知ることのできる貴重な資料とされています。
ところで、チャンパ王国は、192年から1832年まで東ベトナム中部沿海地方に存在した、オーストロネシア語族を中心とする王国でした。カンボジアの東と接した国です。その主要住民の「古チャム人」は、今日のベトナム中部南端に住むチャム族の直接の祖先とされています。中国では唐代まで「林邑」と呼び、一時「環王国」と自称しましたが、宋代以降は「占城」と呼ばれていました。
第2回廊に刻まれたレリーフは見飽きることがありませんし、巨大な4面菩薩像には圧倒されます。こちらも微妙に表情が異なっていて、興味が尽きません。
<パプーオン>
ガイドブック等に載っている紹介記事を引用させて頂きます。11世紀に建てられたヒンドゥー教寺院の「パプーオン」は、「隠し子」の意味を持ちます。
その伝説は、現在のタイ王国のシャム王と、現在のカンボジアのクメール王は兄弟だったことに由来します。シャム王がその往時をクメール王に預けると、臣下は陰謀だとして往時を殺害しました。
これに怒ったシャム王がクメールを攻めたところ、クメール王妃が、その往時をこの寺院に匿った事が「隠し子」の由来です。アンコールトム以前に建設されたこの寺院は、高さではアンコールトムよりも高かったことが、13世紀の元朝フビライの紀行文に記されています。現在、その中央祠堂が大掛かりな修復工事に入っていました。フランスによる修復工事は、内戦前から始まったようですが、中断を経て、現在も継続中です。
パプーオンで見逃せないのが空中回廊です。200mに亘り、2mの四列円柱に支えられた回廊は、その後の寺院建築に伝承されました。
<ライ王のテラスと象のテラス>
象のテラスとライ王のテラスは、隣接した場所にあります。それで、まとめて説明します。最初はライ王のテラスです。三島由紀夫の戯曲の題材にも使われました。その伝説の要約です。
「その昔、ある王様が密林の中で毒蛇と戦い、仕留める時に返り血を浴びました。これが元で、ライ病(ハンセン氏病)に罹りました」と、言うのがクメールの神話「ライ王伝説」です。
現在、ライ王のテラスには、その王様の石造が座していますが、これはレプリカです。本物はプノンペンの国立博物館に収蔵されています。
ところでライ王は、アンコールトムを創建したジャヤ・ヴァルマン七世であるとの説があります。七世王は、道路建設や病院建設などにも熱心だったとされます。しかし、その晩年は、仏教寺院の建設などで財政破綻を招き、王国衰退の原因を作った、ともされています。
次は「象のテラス」の説明です。「象のテラス」は、王宮前広場に面して、南北方向に300m続く、高さ3mの長大なテラスの呼び名です。12世紀後半、ジャヤ・ヴァルマン七世によって作られ、閲兵等に使われました。
東方面には勝利の門があり、戦に勝った時、この勝利の門を潜ってアンコールトムに凱旋した兵士達が、この象のテラスで、王の閲兵を受けたとされます。
テラスの上にはナーガの欄干があり、側壁にはその名の通り象のレリーフが施され、格好の撮影ポイントとなっています。レリーフの主題は、主に象による狩の様子です。テラスの北側の側壁にはガルーダのレリーフがあるようですが、残念ながら見落としました。
<タ・プロム遺跡>
アンコール遺跡群の中でも、巨大なガジュマルに絡みつかれたタ・プロムの写真には、少なからず驚かされていました。
そのタ・プロム(Ta Prohm)も、アンコール遺跡群と呼ばれる多くの寺院や宮殿などの遺跡群の内の一つです。12世紀末に仏教寺院として建立され、後にヒンドゥー教寺院に改修されたと考えられている遺跡です。創建したのは、クメール人の王朝、アンコール朝の王ジャヤ・ヴァルマン七世です。仏教を信仰した王です。
ところで、この遺跡の修復方針をめぐって、ユネスコを中心とした活発な議論が継続されています。熱帯の巨大な樹木は、遺跡を破壊しているのか、それともいまや遺跡を支えているのかという議論です。
一般に遺跡の修復は、崩れている石材を積み直し、失われた部材を補充して、かつての姿を取り戻すために、作業計画を立案します。しかし、タ・プロムから巨木を切り払い、崩れている石材を元に戻した場合、この遺跡の魅力が失われる可能性があります。それほどまでに、ガジュマルの根に侵食されたタ・プロムの遺跡は有名になってしまいました。
そのタ・プロムは、7世王が母の菩提を弔うために建造した仏教寺院です。境内は、東西が1000m。南北が600mの塀に囲まれています。以前は縦横に回廊がありましたが、今は壊れ去っています。
ガジュマルの樹に侵食されたのは、13世紀後半にシャム軍に侵略を受け、また、内部分裂で、国が乱れたため、数百年に亘って熱帯雨林の中に放置されたためとされます。屋根や塀の上にガジュマルが育ったのは、小鳥の糞によって、ガジュマルの実が運ばれたためとされます。
<午後にもう一度、アンコールワット遺跡へ>
アンコールワットの主要門が西側に作られていますから、午前中は逆光となります。見学する時間帯としては相応しくありません。それで、アンコールトム等を午前中に見学し、午後にもう一度アンコールワットを訪ねました。
フリー百科事典の「ウィキペディア」を参照しながら、アンコールワットのあらましを説明しておきます。
アンコールワットは、12世紀前半、アンコール王朝のスーリヤ・ヴァルマン二世によって、ヒンドゥー教寺院として30年余の歳月を費やし建立されました。しかし、1431年頃には、アンコールワットが放棄されました。
その後、プノンペンに王都が遷ると、一時は忘れ去られましが、再発見されました。アンチェン一世は1546年から1564年の間に未完成であった第1回廊北面とその付近に彫刻を施しました。孫のソター王は仏教寺院へと改修し、本堂に安置されていたヴィシュヌ神を、四体の仏像に置き換えたとされます。
アンコールは王都、ワットは寺院を意味します。大伽藍と美しい彫刻からクメール建築の傑作と称えられ、カンボジア国旗の中央にも象徴として描かれています。
<第1回廊、南面のレリーフ>
南面西は「歴史回廊」と呼ばれています。行幸するスーリヤ・ヴァルマン二世と、それに従う王師、大臣、将軍、兵士などが彫られています。それに続く南面東は、「天国と地獄」と呼ばれています。上段に天国へ昇った人々、中段に閻魔大王らとその裁きを待つ人々、下段に地獄へ落ちた人々が彫られています。地獄では痛々しい刑が行われ、ライオンに食い付かれている人のレリーフもありました。また中段から下段への落とし穴も描かれていました。
レリーフの保存状態は良く、修復の跡も見受けられませんでした。黒光りするレリーフは、見学者が手を触れたためとされます。このままでは磨耗してしまいますから、現在は木の柵が置かれて、直接手に触れることはできません。
天井はフランスによって修復されていました。修復時点では、原形が残っていなかったそうですが、付近の文様を参考に花弁模様の天井が造られています。クメール・ルージュ支配時代に仏像の多くが首を斬られ、敷石にされたなど、多くの文化財の被害を受けました。この壁面のレリーフの被害が無かったことは、カンボジアだけで無く、世界の遺産としても幸いでした。
<アンコールワット遺跡、東面のレリーフ>
東面南側には、乳海攪拌の様子が彫られています。神々と阿修羅等が大蛇ヴァースキを引き合ってマンダラ山を回し、海を混ぜている構図です。その伝説について説明します。少し長くなりますが、フリー百科事典の「ウィキペディア」を参照しました。
「神々と阿修羅が、不老不死の妙薬アムリタを手に入れようと考えた。ヴィシュヌ神の化身である大亀クールマに大マンダラ山を乗せ、大蛇ヴァースキを絡ませて、神々とアスラがヴァースキを引っ張りあうことで山を回転させると、海がかき混ぜられた。海にすむ生物が細かく裁断されて、やがて乳の海になった。さらに1000年間攪拌がつづき、乳海から白い象アイラーヴァタや宝石、聖樹、天女ラムバー、ヴィシュヌの神妃である女神ラクシュミらが次々と生まれた。最後にようやく天界の医神ダヌヴァンタリが妙薬アムリタの入った壺を持って現れた。しかしアムリタをめぐって神々と阿修羅が争いを続けることになった。
その結果、アムリタは神々のものとなったが、神々がアムリタを 飲むさいにラーフという阿修羅がこっそり口にした。それを太陽神スーリヤと月神チャンドラがヴィシュヌ神に伝えたので、ヴィシュヌは円盤でラーフの首を切断した。ラーフは首から上だけが不死となり、頭は告げ口したスーリヤとチャンドラを恨み、追いかけて食べようとする(日蝕・月蝕)。その体ケートゥとともに凶兆を告げる星となった」と、説明されています。
日本神話はギリシャ神話に起源を持つとされる説や、中国や東南アジアの神話との共通性を持つことが指摘されています。
例えば、イザナキ・イザナミが島々を生んだ後、神々を生み出していった、国産み(くにうみ)と神産み(かみうみ)の神話、佐比売山(三瓶山)と火神岳(大山)に綱をかけ、「国来国来(くにこ くにこ)」と国を引き、できた土地が現在の島根半島になり、国を引いた綱が弓浜半島になったとする出雲に伝わる国引き(くにびき)の神話、太陽神であるアマテラスが隠れ、世界が真っ暗になってしまった天岩戸(あまのいわと)神話、8つの頭と8本の尾を持ヤマタノオロチ(八岐大蛇、八俣遠呂智)神話など、限が無いほどです。
こんな日本神話との共通性や、カンボジア独特の表現を持つ神話を比べながらの見学も楽しいものです。建造物等も、夏至、春分、秋分等の天体活動を考慮した造りとなっているようです。
<アンコールワットの石段登り>
第2回廊は、東西115m、南北100mあります。彫刻などは無く、何体かの仏像が祀られているだけの、飾りの少ない回廊となっています。この場所から第3回廊へは、幅が狭く、急な石段を登って入ります。両手両足を使わなければ登れません。
最初は登るのを躊躇しましたが、東京からツアーに参加された方の5歳になるErkちゃんが、1人で登ってしまいましたので、私も登ってみることにしました。下りの方が大変でしたが、上からの眺望はそれを補うに十分でした。第2回廊の先に、熱帯雨林が広がっていました。
アンコールワットのおさらいです。130年余り密林の中で眠り続けていたこの寺院は、ヒンドゥー教三大神のうちのヴィシュヌ神に捧げるために創建されました。以前に開催された「大アンコールワット展」の説明文から、アンコールワットの見所を要約しておきます。
「その後、創健者スールヤ・ヴァルマン二世がヴィシュヌ神の生まれ変わりの神王と考えられていたため、王の死後は墳墓寺院となりました。中央の祠堂は、世界の中心山で神々が住む須弥山を象徴し、周囲の回廊は雄大なヒマラヤ連峰を、環濠は無限の大洋をあらわしています。
アンコールワットは、まさに王権を神格化するためにクメール人独自の「宇宙観」を実現したものだと言えます」と、紹介されていました。
<プノンパケンの丘からの夕陽>
プノンパケンの岡は夕陽見学の名所です。夕刻になりますと、続々と車が集まってきます。象に乗るとか、急坂を登るコースもありますが、緩やかな登山道を登るコースを選びました。
大変なのは、日没後の下山です。大混雑しますから、現地ガイドさんが、日没前の集合時間を決めてくれました。観光客が乗り込み終わらないバスが、道を塞いだりしますと、すぐに大渋滞となります。
乾季のこの時期、空が霞んでいますから、ゆっくりと熱帯樹林に沈んでいく夕陽を直視することが出来ます。岡の上は、ヤショ・ヴァルマン一世が9世紀末に創建した、ヒンドゥー教のピラミッド型遺跡があります。
<民族舞踊を見ながら夕食>
カンボジアの舞踊には、王宮内で存続してきた王宮古典舞踊と、農民など庶民の間で受け継がれてきた庶民舞踊との二つの流れがあります。この夜、食事をしながら鑑賞したのは、王宮古典舞踊でした。
王立プノンペン芸術大学の古典舞踊科を卒業され、今はカンボジア古典舞踊家として活躍されている山中さんのHPを引用しながら、カンボジアの古典舞踊について説明します。最初はその起源です。
「カンボジア古典舞踊の歴史をたどると、インドのヒンズー教の影響を受けたクメール民族が、それを自分たち独自の文化として開花させ、9世紀から14世紀のアンコール王朝時代に、アンコールワット遺跡群で、神々と王に捧げるために儀式の中で踊っていた舞踊が始まり」と、紹介されています。次は、その後の盛衰です。
「その後、アンコール王朝は衰退し、(中略)古典舞踊も廃れていきますが、19世紀フランスの植民地になり、民族の独立を確保したいクメール民族と自らの植民地を『東洋の神秘』としてヨーロッパで宣伝したいフランス側の意向が重なり、再興されました」と、盛衰が記されていました。次は、一番不幸だった時代のことです。
「多くの国民、そして舞踊家や踊りの先生の9割が、このポル・ポト時代に殺されてしまいました」
この記述は、ほかのHPにもありましたし、現地ガイドさんからもお聞きしました。僅かに生き残った舞踊家により、その踊りが復興されつつあります。次は、カンボジア舞踊の特徴です。
「踊りそのものは、指先・足先をそらせること、ポーズや手の印の形、きらびやかな衣装、高い塔を持つ冠、ラーマヤナ物語を元にした話が多いことなど、タイやラオスの舞踊と大変似ています」と隣国との共通性についても触れられていました。更に、
「今のカンボジア人にとって古典舞踊は、彼らの敬愛する王家に捧げるものであり、自分たちの民族のアイデンティティの証であり、アニミズムと祖先崇拝による彼らの宇宙観を伝えるもの」と締め括られていました。舞台袖で、熱心に踊りに見入る、欧米からの子供さんが居ました。
アンコールワットの夜明け
夜明け待つ泉はやがて薄明かり赤き睡蓮花開きたる
アンコールトムで
千年の時経て四面の菩薩像何を諭すかその目その口
国創り神話の世界刻まれて阿修羅神々大蛇綱引く
タ・プロムで
SFの世界かガジュマル天を突き白き太き根塀を跨ぎぬ
アンコールワットで
石段を両手使いて頂きに果無く続く熱帯雨林
プノンクロムの夕陽
天空を渡り終えたる太陽は茜に染めて今沈み行く
いつか見た映画のような旅 ~聖山「プノンクーレン」の秘められた遺跡を探る~(by クロマーさん)
いつか見た映画のような旅
~聖山「プノンクーレン」の秘められた遺跡を探る~
捲土重来。アンコールの歴史を肌で感じ、資料を読み解いていくと感じる言葉。アンコール王朝の系譜の始まりとなり、東南アジアに新しい地図を創り出すために生を受けた王「ジャヤヴァルマン2世」。神が光臨し、彼と共にクメールの独立を宣言した聖なる山は、王朝の滅亡と共に深い眠りに就いていた。
-1日目 午前 シェムリアップ~プノンクーレン山頂(東南部)
珍しいこともあるものだ。寝起きの悪い僕がスッと目を覚ました。自分では気付かないうちに、胸が躍っているのだろう。バッグに、蚊帳と雨具、カメラと予備のバッテリーを詰め込み、待ち合わせの場所へと向かう。今回の旅の目的は、アンコール発祥の起源となった聖山、プノンクーレンに眠っているという50以上の遺跡群を見つけ出すことだ。
いつも通り、行き当たりばったりの旅である。出来るだけ時間のロスをなくし遺跡の詳細を知るためにと、一週間ほど前からクメール人の同行者を探していた。「山で寝泊りし、遺跡を探す」そう伝えると皆及び腰となり、無碍もなく断られていた。皆、聖なる山に伝わる噂*1を恐れているからだと言う。出発日前日となり、やっと同行者が見つかった。待ち合わせ時間より少し早く来ていた彼は、安いタバコをふかしながら僕を待っていた。
雨季に入ってまだ間もない。それほど雨が降る時期でもないため、さほど気にしていなかった天気だが、快晴となりそうだ。日の出ツアーから帰って来る大型バスとすれ違いながら、途中まで舗装された道路を走り抜けると、人懐っこい子供達が手を振ってくる。赤土が舞う道へと入るとすぐにプノンクーレン入場口へとさしかかった。入場料を支払い、曲がりくねった山道へと入る。二つ目の角を曲がると巨大な岩の前に祠が建っている。聖なる山に棲む精霊を祀っているのだろうか。30分ほどかけ山頂の村、プレアアントムへ到着した。
プノンクーレン。内戦時代には、ポルポト派により支配され、多数の地雷が埋められた。未だ完全に撤去されてはいないという。一般観光客の公開が許可されたのも1999年。ポツリポツリと入山する者が出始めてから十年と経過していない。観光客もさほど居ないため、きちんとしたレストランがある訳でもなく、宿泊施設などはもちろん無い。
小さな屋台が軒を並べ、のんびりと開店準備を始めている。山の一日の始まりだ。屋台前には山専門のバイクタクシーが客待ちしている。内戦前にフランス人研究者が書き留めた簡単な地図のコピーを見せながら、彼らに今回の目的を伝える。片言の英語も話せないが、一番物知り顔なおじさんを案内人として選んだ。宿が無い旨を伝えると彼の家に泊まらせてもらえることとなった。
車一台がやっと入れる道を進み、穴の開いた木の橋を乗り越えながら山奥に少し走ると、アンロントムという小さな村へと辿り着く。村の入り口に構えた彼の家は、近くに建つ他の家と較べると少し裕福そうな造りだ。手作りの木の柵を抜け、クラクションを鳴らすと、子供達が笑顔で飛び出してきた。案内人を中心に母と嫁、娘四人と仲の良さそうな7人家族だ。簡単な自己紹介の後、あてがわれた部屋に荷物を置く。さほど物の入っていないバッグからさらに荷物をとき解くと、すぐに出発した。
10分ほど走る。急にバイクを止めたかと思うと、道路脇にある小さな空間へと歩く。ふと見ると、猿のような動物が刻まれたシーマ石*2がポツリと佇む。さっそく一つ目の遺跡が現れた。少し離れて写真を撮ろうと、森へ踏み込む。案内人が声を上げ、指差した先には、地雷撤去団体が残したドクロマークがある。この近くにも地雷が埋まっているのかもしれない。
飛び出している小枝、覆いかぶさる大木をかいくぐり、先へ先へとバイクを走らせる。しばらく走ると道路が途切れた。ポルポト兵により爆破されたそうだ。現在は人一人歩けるほどの小さな木の橋が架かっている。バイクを停め、山の奥へと入りこむ。人々から忘れ去られ、眠り続けている多くの寺院までは徒歩でしか近づくことは出来ず、山に住む人々のみ安全な獣道を知っている。
案内人が道沿いに伸びる植物の実を採り、おいしそうに口へと運ぶ。同行人に勧められ、ためしに食べてみると少し苦かった。
40分ほど歩くと、森の中から大きな寺院が現れた。クロバイクラップ寺院*3。鬱蒼とした空間にひっそりと佇むレンガ造りの寺院には、みっちりと草木が絡みついている。中に入ると、地面は掘り返され大きな穴が開いている。ここで等身大のヴィシュヌ神像が発見されたという。少し崩れた塔の頂点部からは小さな光が差し込んで来ていた。
停めていたバイクまで戻り、少し北上すると、チュレイ寺院へと到着した。レンガ造りの寺院は上部が崩壊しており、地面に転がっているリンテル(まぐさ石)には剣と盾を持った戦士がきれいに刻まれていた。さほど遠くない場所には、真っ二つに割れたネアックター寺院もある。巨大な木が倒れてきたようだ。
思ったより遺跡は密集して建造されている。さらに少し進むとアンロンバラン*4へと到着した。ここにはクメール時代の窯跡があり、多くの割れた陶器が無造作に転がっている。以前は綺麗な物も多くあったそうだが、貧しい村人が生活のために売り払ったり、心無い観光客が持ち帰ってしまったりしたという。
-1日目 午後 プノンクーレン山頂(プレアアントム村、東南部)
お昼を大きく回り、屋台の並ぶ少し大きめの村へ向かう。注文した地鶏の串焼きは、ゆっくりと炭火であぶられ、こんがりと焼けている。案内人が少し遠慮気味に串焼きに手を伸ばす。買ったばかりの冷たいコーラを差し出すとニカッと笑った。
ゆっくりと食を楽しむ二人を残し、近くにあるプレアアントム寺院へ登る。垂直に切り立つ天然の巨岩の上部には、まるで小鳥の巣箱のように、小さな小屋が建てられている。内部には岩を削って造られた10メートル近くの涅槃像がある。16世紀に造られたという像は人々の信仰の対象となり、僧侶はもちろん、多くのクメール人達が祈りに来ている。
涅槃像のある巨岩を降り、岩肌に囲まれた奥の細道を歩く。「山で獲れた猪の牙だよ。掘り出したばかりの彫像だよ」中年の女性が、声を張りあげる。本物か贋物か分からない珍品を横目に先を急ぐことにした。
まだまだ先は長い。屋台のハンモックでウトウトし始めていた案内人を起こし、次の遺跡が集まる地域へと向かう。少しスピードを上げながら森を駆けていると、晴れた空から雫が落ち始めた。狐の嫁入りだ。
雨宿りを兼ね、近くのコーチャン遺跡へと向かう。小さな獣道だ。繁みをかき分け突き進むと、巨岩が屋根のように覆いかぶさり、半分土に埋もれたリンガ台が姿を現した。周りの岩には、深く刻みこまれたヒンドゥーの神々とバラモン僧達が列をなしている。千年以上の間、ずっとこの空間を守り続けてきたのだろうか、ほんの束の間の小雨の中、神聖な空気に包まれていた。
再び快晴に包まれた。いくつかの小遺跡を見つけ出し、少し日が落ち始めた頃、クーレンの滝で今日一日の汗を洗い流した。
村の屋台へ向かう。売れ残っていた焼き魚と焼き鳥、それに飲み物を数本買い込む。プップッププー。夕日の中、案内人がクラクションを鳴らしながら家に戻ると、家族みんなが家から飛び出て迎えてくれた。ろうそくの明かりを頼りに皆で一つの皿をつつく。8時を少し回った頃には、ろうそくも消え、皆蚊帳の中へ包まれていった。
-2日目 午前 プノンクーレン山頂(北部、クーレン滝、千本リンガ周辺)
山の朝は早い。鶏が鳴き始め、太陽が昇り始める頃には子供達の声が聞こえ始める。電気の無い人々の生活は太陽と共に一日が始まり、終わっていく。
蚊帳越しに太陽の光が差し込み始めた。もぞもぞと蚊帳から這い出し、少し冷たいが新鮮な山の空気をぞんぶんに体に取り込んだ。
さあ出発だ。村近くにある幾つかの小さな寺院を周り、少し離れた遺跡へと向かう。砂まみれの道路を抜け、バイクを停めた。案内人が急坂を黙々と登って行くと、見通しのいい崖の上に寺院を見つけた。プラサットクロホーム寺院。紅い寺院という意だ。塔上部は崩れ落ち、内部に残されたリンガは落ちてきたレンガで埋まっている。寺院から伸びたマカラ*5の排水口はきれいに残っていた。
朝からまだ何もお腹に入れてない。少し遅めだが、空腹を満たすために滝近くの屋台へと向かった。ふと見ると多くの僧侶達が巡礼に訪れており、豪快な音を発しながら流れ落ちる滝をのんびりと眺めていた。
滝の上流へ向かうと、川底には「千本リンガ」と呼ばれる彫刻群が所狭しに刻み込まれている。数多くの神々、リンガ等のレリーフの上を流れる事により、ただの山水が聖水と化す、そう信じられている。清められたその水は長い道のりを経て、やがて人々の住むアンコールの街へと流れ込んでいく。
-2日目 午後 プノンクーレン山頂(西南部)
さあ、もう一踏ん張りだ。山頂の小道を一気に南下していると、森の中をオレンジの袈裟を纏った僧侶が、両手にいっぱいに薪を抱えて歩いている。ゆっくりと追い越し少し走ると、洞窟寺院「ルーンプロチウ」へ辿り着いた。真っ暗な洞窟を覗き込むが、2メートル先はもう闇に覆われている。さき程追い越したばかりの僧侶が現れ、発電機を回すと、洞窟内に明かりが灯った。50メートル程あるかないかの洞窟へ入るといくつもの祭壇がある。聖なる山に棲む神々や精霊、命を落とした兵士達に供物を捧げているのだろうか。
新緑の木漏れ日が気もちいい。洞窟から少し歩くと小さな木製のパゴダ(新しく作られた寺)がある。人気は無いが、きちんと手入れが施されている。脇に伸びる小道を少し降ると、突然目の前に巨大な象が現れた。「スラードムライ」だ。実に大きく、威風堂々と佇んでいる。大小様々なアンコール遺跡を見てきた自分が、いつも以上に興奮しているのが分かる。象のすぐ傍には、天を望むかのように、どしりと腰を下ろしている巨大な獅子達が群れを成している。この閉ざされた空間は、選ばれたものしか寄せ付けない神聖な空気を放っているようであった。
太陽が傾き始める。森の中では暗くなるのも早い。さほど遠く場所にあるという、もう一つの象の彫像「ドムライクラップ」を探しだすため、山の奥へ、奥へと踏み込んでいく。しばらく歩くと、ひっそりと寂しそうに佇んでいるその像を発見した。遠くから見る後姿はまるで、いつか帰ってくる主人でも待っているかのように美しい。少し乾燥した苔が夕日に照らされ、黄金に輝いていた。
-3日目 午前 プノンクーレン山頂~山麓西南部
予備のバッテリー残量が半分を切っている。そろそろ山を降る頃か。案内人とその家族にお礼と別れを告げた。一度山を降り、小さなパゴダ「ワットプノンコムノップ」へと向かう。ここには後世に造られた、大きな亀の彫像があり、すぐ傍には枯れることのないという、聖なる水が湧き出していた。
同じクーレン山に造られた寺院だが、登り口が違う遺跡は多い。ここから辿り着く山上寺院「プラサットホブ」までは1時間程の険しい道だ。山頂から見渡すと未開の大地が広がっていた。
-3日目 午後 プノンクーレン東部ベンメリア近く~シェムリアップ
次の遺跡までは、クーレン山を大きく迂回しなければならない。一度ベンメリア遺跡へと抜け、再びプノンクーレン東部の岩場へと向かう。
のんびりとした村を抜け、小さな石の転がる急坂へと差し掛かる。段差の激しい細い道だ。バランスをとりながらゆっくりと登って行く。周囲を眺めると大きな奇岩がゴロゴロと転がっている。まるで森に生えている茸のようだ。一際大きな岩へと辿り着くと小さな祠がある。プーンコムヌー遺跡だ。大昔には一つの巨石だったのだろうか。真ん中から二つにスパッと割れている。長い年月の間、雨に晒されてきたのだろう。岩の表面は滑らにきれいな曲線を描いている。両面に向かい合うように、ガネーシャ神*6と、夢を見るヴィシュヌ神*7が彫刻されている。
巨岩の裏には両脇にシンハ(獅子像)を従え、剣を携える神々と、バラモン僧達が刻まれていた。
クーレン山に覆いかぶさる様に太陽が沈み始め、空の色は淡い朱色へと変化を始めた。遠いアンコール時代の幻想に浸りきった時間から、現実世界に戻る時が来たようだ。最後にゆっくりと、神々の彫刻を眺めていると、若い僧侶が現れた。声を掛けると照れくさそうに笑って去って行った。
* 1 山上には多くの精霊が棲んでおり、気付かないうちに彼らの気分を損ねると下山後に大きな災いを受けるという。噂を信じない者でも、内戦時に埋められた地雷の恐怖から、また毒蛇や毒蜘蛛などの存在から山での滞在を嫌がる。
* 2 石に囲まれた空間は聖域とさ、悪い神は入りこむことが出来ない。結界石。
* 3 その地に住む案内人曰くクロバイクラップだが、残された地図ではドムライクラップとなっている
* 4 アンロンバランは、トノーメレイ、リンポウクリエイなどとも呼ばれる窯跡。現在上智大学が調査を行っている。陶器が散乱していますが、絶対に持ち帰らないようにして下さい。重罪に罰せられます。
* 5 水の神の乗り物とされる神獣。上半身が象、前足は猫、下半身は魚。
* 6 象の頭で人間の体を持つ神。学問、繁栄の神とされる。
* 8 ヒンドゥー教の宇宙創造神話。大海に横たわり、まどろむヴィシュヌ神のへそから蓮の花が咲きだす。その花からは宇宙を創り出す神ブラフマーが誕生したという。
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注意: 山中には地雷が残っており、毒蛇、毒蜘蛛も生息しています。信頼できる旅行会社を通して観光する事を強くお勧めいたします。また本誌内容は、参考程度としてご利用下さい。観光に関しては完全自己責任となります。
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プノンクーレン国立公園 (37,500ヘクタール)
外国人入場料20$。カンボジア人入場料2000リエル(約50セント)
果物のライチの意。シェムリアップから北東部、約60kmの地域にある高さ461mの聖なる山。アンコール時代には「マヘンドラ(インドラ神)の山」とも呼ばれた。当時の宗教(ヒンドゥー教)上の意味合いでは、プノンクーレンはヒマラヤ山脈を、シェムリアップ川はガンジス川を象徴していたとされる。
802年にアンコール王朝の創始者である、「ジャヤヴァルマン2世」が即位式を行い、以来15世紀までの約600年に及ぶ王朝史の幕を開いた場である。昔からクメールの人々にとって、神が光臨した神聖なる山として崇められ、現在でも巡礼の場となっている。
「ジャヤヴァルマン2世」8世紀末、小国に分裂して弱体化し、ジャワの宗主権下にあったカンボジアをジャワの支配から開放した。激しい戦乱の世で、武力を使わずにチェンラを統合し、アンコールの歴史を作り出した偉大なる王であったとされる。
彼は、ヒンドゥー教の大賢者を国に招き、プノンクーレン山頂にて「デーヴァ・ラージャ(神王崇拝)」儀式を行い、現人神となる。この儀式により、王の地位は親族にのみ、受け継がれることとなり、彼の子孫は広大な領土を持つ強大な王国を築きあげていった。
高尾の紅葉。②日泰友好の「パゴダ」。(by ちゃおさん)
高尾山に登るには3通りのコースがあり、右手の車も通行可能な薬王院参道。左手の富士の眺めの良い稲荷山コース。そして真ん中の最短コースが清滝コース。
京都清滝の見事な紅葉を思い出し、今日はこの清滝コースを選ぶが、京都北山に比べたら、ここの清滝は沢の迸り程度の小さな滝であるが、高尾行者の修験道の場所となっていてそれなりに奥ゆかしい。
遠くからでも分る清滝権現堂。屋根には落ち葉が重なり合って積もっている。
< 落ち葉重ね 御堂の屋根を 紅く染め >
時々見かける滝に打たれる行者の姿は今日は誰もいない。連休の初日。敢えて避けているのか。
清滝を過ぎた辺り、若いベトナム人の就学生4-5人を追い越す。ベトナム・ホーチミン市(旧サイゴン)から来ていて、いま川崎市の多摩区の会社で研修を受けているそうだ。
サイゴンが陥落してもう既に35年以上になるが、彼ら若い青年は皆30歳以下。それでも彼らの口からサイゴンという名前が出てきて、矢張りベトナム人の中にもサイゴンという旧名に郷愁を抱いているのだろうか。
丁度それはロシア人がレニングラードの都市名を75年前の旧市名、ぺテルスブルグに戻したような郷愁かも知れない。
いまカンボジア、ポルポト圧政下でのカンボジアの悲劇を読んでいるが、そこに関与しているベトナム人に対するクメール人の憎悪。
その本の印象からかベトナム人に対してはややわだかまりの気持ちも芽生えた。しかし彼等若者は戦争とは何の関係もない、としても、彼等を見ていると長い民族間の葛藤を考えられさせられるものがあった。
見晴台を過ぎて、役の行者小角「神変大菩薩」を祀る「行者堂」にお参りし、いよいよこれから高尾山薬王院の境内へ。
最初にあるのが、タイの王室より贈られた仏舎利を祀る「パゴダ」。ここの紅葉も見事であり、紅葉の中に映える白亜の大理石で作られたパゴダの美しさ、コントラストの妙はなんともいえないものである。
紅葉も今が一番の季節。紅く染まった木々の樹間に立つ真白のパゴダを見、丁度今の季節に来られたことに感謝した。
< 紅葉を配し 真白の パゴダあり >
カンボジア・アンコールワット旅行 (by てんとうむしさん)
社員旅行以来、うずうずしだした旅行癖。
そんなんで、7~10日前に思いついてアンコールワットを見に行こうと考えたけど、いかんせん時間が無かったので、とりあえず全自由時間というスタイルのツアー(航空券+ホテル+空港~ホテル間のガイドのみ)を探して予約。
言葉はクメール語(クメールとカンボジアは同じ意味だが国はカンボジア、クメール人、クメール語と使いわけるらしい)が基本言語、みんな英語を勉強している。あとは日本語がちょっととフランス語が飛び交う。
どこでもそうだが、片言の英語とジェスチャーなどでほとんど対応。オー・クンが「ありがとう」くらいしか覚えてない・・・
1冊本を読んで(カンボジア最前線・岩波新書)、「地雷を踏んだらサヨウナラ」(イチノセタイゾーという若い日本人フォトジャーナリストのカンボジアでの活動のドキュメント映画)を再度見たが、カンボジアの社会は結構不安定な感じ。
旅行の代金はこんな感じ。
旅行代金-----------80,700円(飛行機+ホテルツアー)
一人部屋追加料金---28,000円
中部国際空港使用料--2,500円
燃料特別付加運賃----5,400円
現地での交通費------3,500円
食費----------------2,000円
土産----------------2,000円
合計--------------124,100円
利用航空会社:ベトナム航空
名古屋⇒ホーチミン線だったんだが、無くなってしまった。
適当さが好きな航空会社なんだけど。
2008年11月現在は週4便ハノイ線があります。
マイルは今のところ互換性ないようです。そのうち大韓航空とかのスカイチームに入るかな。
旅館橘
〒250-0311 神奈川県足柄下郡箱根町湯本574
↑施設の外観
交通手段:私鉄小田急線箱根湯本駅→徒歩約15分またはタクシー約4分
値段:11800~26200円

旅館大村屋
〒843-0300 佐賀県嬉野市嬉野町大字下宿乙848
↑施設の外観
交通手段:福岡空港→地下鉄福岡空港駅から博多駅下車中央出口→JR佐世保線佐世保行き約60分武雄温泉駅下車→JRバス嬉野温泉行き約25分嬉野温泉バスセンター下車→徒歩約5分
値段:8000~23750円

板屋
〒321-1662 栃木県日光市湯元2530
↑施設の外観
交通手段:私鉄東武線東武日光駅→東武バス湯元行き約80分湯元下車→徒歩約3分
値段:8300~31900円

苫田温泉いやしの宿泉水
〒701-1144 岡山県岡山市栢谷1426−2
↑施設の外観
交通手段:岡山空港→タクシー約15分
値段:5500~13650円

栂池丘の上ホテル宮川
〒399-9422 長野県北安曇郡小谷村千国乙12840−1
↑施設の外観
交通手段:松本空港→バス松本空港から松本バスターミナル下車→JR大糸線松本駅から白馬大池駅下車→徒歩約30分またはタクシー約15分
値段:5900~22050円

熱川第一ホテル
〒413-0302 静岡県賀茂郡東伊豆町奈良本1267−2
↑施設の外観
交通手段:JR東海道線踊り子号伊豆熱川駅→徒歩約15分またはタクシー約3分
値段:8400~25200円

ターミナルホテル松山
〒790-0066 愛媛県松山市宮田町9−1
↑施設の外観
交通手段:JR松山駅→徒歩約1分
値段:4725~11130円

ホテルセントノーム京都
〒601-8004 京都府京都市南区東九条東山王町19−1
↑施設の外観
交通手段:JR京都駅八条東出口→徒歩約2分
値段:7900~16500円

アーバンホテル京都
〒612-0029 京都府京都市伏見区深草西浦町4−59
↑施設の外観
交通手段:JR東海道本線京都駅八条口出口→タクシー約6分
値段:2500~13650円

ホテルセンチュリー静岡
〒422-8575 静岡県静岡市駿河区南町18−1
↑施設の外観
交通手段:JR静岡駅南出口→徒歩約1分
値段:8200~23700円
