関帝廟に関する質問

関帝廟 横浜中華街の関帝廟

何だと思って行っているのでしょう?せっかく横浜中華街に来たからにはついでに見ていかないとという感じでしょうか?というかもしかして横浜中華街のメインが関帝廟なのでしょうか?関帝廟にはどのくらいの人が訪れてい

  横浜中華街の関帝廟の詳細


関帝廟 神戸の中華街には横浜関帝廟のような祠とかはありますか

6月3日6月4日のどちらかは天安門の死者をいたみに夜ロウソクもって横浜中華街にいってたんですが、今年は関西出張中なので神戸に行こうかと思います。そういうお参りにふさわしいところはありますか?また、おまいり

  神戸の中華街には横浜関帝廟のような祠とかはありますかの詳細


関帝廟 中国の神様について

今回、中華料理のFC店のキャラクターとして、中国の神様もしくは中国の偉人をデフォルメしたようなものを検討中なのでが、なにか良い資料、HPは、ございませんでしょうか?キーワードは、怖い、怒ってそう、大王、神様、商売繁盛、点心、

  中国の神様についての詳細


関帝廟 寺廟の読み方

寺廟の読み方を教えてください。

  寺廟の読み方の詳細


関帝廟 横浜中華街で「太上老君」の置物(中国の神様,風水 )

横浜中華街で、中国の神様の置物や人形を扱っているところを知りませんか?中国風のインテリアをいろいろ考えていますが、その中に風水系の神様でよくでてくる「太上老君」という神様の置物を探しています。中国に関心の

  横浜中華街で「太上老君」の置物(中国の神様,風水 )の詳細


関帝廟旅行記

食後の散歩 山手ぶらぶら(by ぬいぬいさん)

関帝廟
最近関内に行くと決まって食べる中華街のワンコインランチがあります。
テレビでも紹介されたこのお店は「謝謝」といい、香港路の関帝廟の通りに近いところにあります。
ランチメニューは4種類から選べ、ボリュームたっぷりの料理とスープとおかわりありのご飯がついてなんと500円。
20年近く通っているなじみのお店から、最近はシフト替えしてます。今日もおいしいランチを食べた後は、昼休みもまだたっぷり残っていて、食後の散歩で関帝廟を眺めた後に、車で山手に移動してイタリア山庭園の西洋館を眺め、ヴォーリズの設計した横浜共立学園とカトリック山手教会を散策しました。

【旅行時期】2009/02/17~2009/02/17
【エリア】関内・山下・伊勢佐木
【テーマ】歴史・文化・芸術
【投稿者】ぬいぬい

中国旅行記10(12):9月25日(1)山西省・僑家大院(by 旅人のくまさんさん)

関帝廟
<2006年9月25日(月)>
 
 この日のメモからです。5時30分目覚まし、5時45分起床、出発8時ホテル出発でした。今日は2つ目の主な見学地、世界文化遺産の平遥古城の見学が組み込まれ、少し早い出発となりました。平遥への途中で、僑家大院と呼ばれる、ロケ撮影で有名な観光スポットも立ち寄る計画です。朝から、天候の方も、申し分ありませんでした。

<ホテルの界隈>
 出発まで、1時間以上余裕がありましたから、ホテル界隈を散歩しました。早い時間でしたから、通勤の人も疎らでした。小学生くらいのお子さんを自転車へ乗せて学校へ向かう若いお母さん達を、この時間帯でよく見かけました。教育ママといった感じのようです。
 路上では、季節の果物を売る人が、早くもお店を出したり、行商の人も行き交い始めました。ホテルの前ですから、目に付いたようです。太原の駅も近いようでしたが、現地ガイドさんの注意に従って、その方向とは反対方向や、路地へ回って、写真を撮りました。出勤途中の若い女性の方が、横棒のシャッター越しに手を伸ばし、銀行端末を操作している場面も見かけました。日本では余り見かけない光景です。中国なりのセキュリティ手段なのでしょう。路地では、ホームレスの方も目にしましたが、その写真の掲載は差し控えます。

<平遥へ>
 朝の散歩を終って、次は朝食です。複数のレストランが開いていましたが、昨日ガイドさんにお聞きした、2階の食堂を利用しました。後でお聞きした話では、泊まった階の食堂も利用できたようでした。
 このホテルでは2泊しましたが、連続ではなく、平遥での宿泊を挟んで、1泊づつでした。立派なホテルでしたが、夜の騒音に悩まされました。
 平遥へ向かう車の中で、現地ガイドの王さんが教えてくれた、太原について紹介しておきます。「カカア天下の風習があり、料理は男性の役割、毛沢東を迎える意味の「迎沢」印が有名、人口450万人で、漢民族が96%、他は満族、蒙古族など、汾酒と呼ばれる白酒が特産、38度から、最高72度まで、薬用酒の竹葉青酒も有名、食べ物では麺が特産品、刀削麺など、100種類以上の食べ方がある。大同市と同じように石炭も採れる」と言ったことでした。「歴史上、歴代皇帝を輩出し、楊貴妃もこちらの出身」との事でした。

<移動途中で、僑家大院見学>
 僑家大院のことは、古いガイドブックには載っていませんでしたから、インターネット情報を元に概要を説明します。最初は、その成り立ちからです。
 「喬家大院は、別名を喬在中堂宅院と言います。清朝末期から中華民国成立初期にかけて、大金融資本家であった喬家所有の大邸宅でした。金融資本家は、当時「票号」という呼称で知られていました。この喬家は「大徳通」と「大徳恒」という二つの大きな票号を経営し、全国各地に30以上の支店を構え、その最盛期には資本金11千万両の白銀を超えたと言われています」
 インターネットでの解説記事を読みながら、現地ガイドさんの説明が、すぐに蘇ってきました。その票号の看板の写真を紹介しておきます。一つは説明とは違う票号です。レプリカではなく本物のようです。
 次のことも、物語を示す模型の前で、現地ガイドの王さんからお聞きしたことと同じでした。ただし、末裔の話は(?)でした。
 「喬家は、もともとは非常に貧しい家でした。その一族の中でも、早くに両親を無くした初代の喬貴発は、特に一族からも疎んじられ、今の内蒙古へ移住しました。彼はそこで一念発起し、意気投合した秦という人と二人三脚で蒙古貿易を拡大し、大きな財を築きました。その後、秦家はその放漫経営から次第に喬家に吸収されることになりました」
 「喬家は7代、約200年に亘り繁栄しましたが、経済近代化の流れの中で没落しました。また、太原や平遥の中国内での経済・流通地位も低下して生活が立ち行かなくなったため、1937年には一族全員がこの地を離れていきました」
 その末裔は、今でも北京、上海、雲南に住んでいるとされます。
 ところで、僑家大院が有名になったのは、「単騎千里を走る(邦題)」で日本でも良く知られるようになった映画監督、張藝謀(チャン・イーモウ)監督作品の「大紅灯籠高高掛(94年公開・邦題は紅夢)」のロケ地として使われたことです。
製作総指揮は台湾の侯孝賢(ホー・シャオシェン)監督で、日本の制作スタッフも参加して作られた作品です。その粗筋も紹介しておきます。
 「両替商で財を成したお金持ちの家に、第四婦人として嫁ぐ19歳の主人公を鞏俐(コン・リー)が演じています。豊かな生活の影では、社会から隔絶された屋敷内で繰り広げられる複雑な人間関係。次第に精神を病んでいく主人公。そして、色のない屋敷内の灰色の生活、閉ざされた冬場の白い雪景色。憎悪を象徴するような提灯の紅」チャン・イーモウ監督の色使いにも注目です。僑家大院へ向かう車の中で、ビデオを見ました。
 僑家大院は、写真集で紹介しましたように国家指定の「AAAA」の観光地となっています。門前町のように商店街や露天が立ち並び、お土産品を売っています。季節柄、生の棗がお値打ちでした。大きな向日葵も売っていました。
 ところで、地元の特産品はお勧めですが、日本へは植物検疫を受けなければ持ち帰れませんので、要注意です。ご注意ついでに、失敗談を一つ紹介しておきます。磁石を使った人形です。動きが面白く、半額に負けてもらいましたが、トリックがありました。僑家大院の見学の前に買って、帰りにそのトリックに気が付きました。
 倒れこんだ人形が、急に立ち上がって面白い動きをしますが、立ち上がるのは磁石の働きではありませんでした。目に付かないように細いナイロン糸を張って、それを売り手の人が分からないようにコントロールしていました。立ち上がってしまえば、磁石の働きで、面白い動作になるようです。私の場合は、4個で20元の被害ですみました。

<平遥到着、葬式と結婚式>
 平遥の古城の城壁が見える辺りまで来て、最初に出迎えてくれたのが、爆竹を鳴らしながら列を成して走る結婚式の車パレードでした。かなりの迫力でした。日柄がいいから結婚式かと思いましたが、同時にお葬式の場面も目にしました。こちらは、写真集の方に収録しておきました。
 日本では、結婚式とお葬式の取り合わせが奇異に写りますが、飾りを見た限りでは、お葬式に暗いイメージは無く、赤色を始めとする原色の飾りが使われていました。
 これは、私の全くの推測ですが、お葬式も前向きに捉え、明るく振舞うのであれば、結婚式と同様、良い日柄を選んで営まれるのかも知れません。あるいは、割り切って日柄に関係なく、都合のいい日が選ばれたのかも知れません。繰り返しますが、これは、全くの推測ですから、真偽の程は分かりません。

<平遥古城について>
 平遥古城について、先に説明しておきます。インターネット情報を主に参照しました。
 「かつて、中国の都市は城壁で囲まれていましたが、現在では西安、興城等のいくつかの都市を除いて現存する都市は僅かです。平遥古城は、その内の一つであり、昔、山西商人が活躍した地方経済都市です」
 「街は横一線の城壁に囲まれ、全長6.4km、高さ8~12m、壁上部の幅が3~5mあり、外側に幅、深さともに4mの壕が巡らされています。
 外側表面は全て磚(煉瓦)を築き、内側を「版築」という工法で築かれていて、城壁上部にも磚が敷かれています。城壁外側には頂部が凸凹の朶口(銃眼)があり、馬面と呼ばれます。72箇所の張り出しが造られています。馬面の上には、敵に襲われた際に身を隠しながら矢を放つ敵楼が建てられています。城壁の内側には、馬が駆け上がるためのスロープが設けられています」
 東西南北に六つの門があり、西門の内側から城壁の上に登ることができます。城壁の保存状態は良く、西周時代から続くものとしては漢民族地域で最良とされています。これらのことが、平遥古城が世界文化遺産に登録された事由でしょう。
 城壁以外でも街路、市場、商店など多くが明代の原型をとどめていて、城内には300余りといわれる史跡が残されています。現在は中学校として利用されている文廟は、金代(1163年)に再建されたものです。宋・金代の建築様式を今に伝えています。
 今回は見学しませんでしたが、大街路北にある清虚観(道教寺院)の創建は、唐代(660年)にまで溯り、元、明、清代に再建されています。また、四合院形式の住宅を、各所で見ることができます。山西から始まったとされる金融機関「山西票号」も保存されています。
 この街の中心にある市楼は高さ20m余り、二層三楼の壮麗な造りになっています。昔はここで日に三度、市が開かれていました。他にも街の守り神を祀る城隍廟、沙巷街の関帝廟など数多くの歴史的建造物が残されていて、全体として明清代時代の伝統的都市の雰囲気を感じることができます。

<平遥古城散策・街路>
 城門を潜って、一歩古城の中に足を踏み入れますと、そこは全くの別世界でした。映画のロケ場面に足を踏み入れたか、数百年をタイムスリップしたような錯覚に襲われます。古い町並みには、伝統を思わせる看板の店が並び、普段の生活とはかけ離れた時が過ぎていくかのような錯覚です。
 少し冷静になれば、これこそが、歴史的遺産を今に残した世界文化遺産そのものと言った雰囲気を味わえます。路地の片隅に目を遣れば、中国将棋を指しているご年配の方や、お店の中でひたすら家業に勤しんでいる方も目にすることが出来ます。

<平遥古城散策・商家址>
 商家址のタイトルを付けましたが、「票号」と呼ばれる中国の金融業発祥の地の文化遺産です。平遥は、中国の銀行の発祥の地とも称されています。その建物や、文物が豊富に残されています。
 その建物自体は、四合院と呼ばれる、中庭を中心とした伝統的建築物です。その四合院の一角で、机の前で筆を動かしているご年配の方をお見かけしました。後には江沢民さんとの写真も飾って在りました。伝統的な「票号」を認(したた)める方でした。
 規定の2元を払って、ご一緒に記念撮影に収まりました。もう少しお金を洗えば、不渡り確実の小切手もその場で書いて戴けます。日本人であれば、「額面千両」の小切手だったりします。
 Ykさんが、その小切手を注文されましたが、丁寧な筆字で小切手が発行され、表書きされた封筒に収めて渡されました。記念のお土産として、格好でした。

<平遥古城散策・行政府址>
 1時間程の自由行動の後、場内の交差点で再集合しました。集合した後に見学したのが行政府址、県衙(が)と呼ばれる一角でした。文化大革命の嵐が吹き荒れた時には、封建制の名残などの理由で、真っ先に被害を受けたかもしれない建物でしたが、幸い難を免れました。
 その理由は、学校として使用されていたことのようです。小学校か、中学校かは聞き漏らしましたが、今になってみれば幸運なことでした。問答無用の時代にも、うまくその難を逃れる術が働いたようです。中国4千年の歴史は、そう簡単には音を上げないようです。
 入口の所で制服を着た若い係員の方と孫濱先生が話されていましたが、どうやら同郷の方のようでした。入口の左手には高い塀を巡らした牢獄址も残っていました。ここは、裁判所であり、刑務所でもあったようです。拷問の器具も展示してありました。
 更に奥へ進むと、裁判所に相当する場所があり、厳めしい髭を生やした方が席に座っていました。裁判官に扮しているようでした。卓上に置かれた竹製の赤い籤が「死刑」、黒い籤は無罪だったようです。ガイドの王さんは顔見知りで、そのテーブルに座って、ポーズをとってくれました。

<平遥古城散策・城壁の上>
 県衙(が)と呼ばれる行政府址を見学した後、電気自動車に乗って正門へ向かいました。平遥古城の見学の仕上げに、城壁に登るためです。ここへ登るには、別料金が必要でした。定員オーバーで乗りましたから、ガイドの王さん達は、後ろの立席でした。ひょっとしたら、これも定員の内に入っているかもしれません。時間は5分とかかりませんでした。
 登った平遥古城の上からは、四方が遠くまで見渡せました。日本で言えば、景観規制によって、高い建物の建築が制限されているためでしょう。城壁の上には、百年か、二百年を経過したと思われる防御や、攻撃のための兵器類が展示してありました。歴史ドラマにそのまま使えそうな大砲や、槍襖の古代戦車などでした。
 下から見上げた楼閣も身近に見ることが出来ました。城壁を守るための実用の建物というより、為政者の権威を示すための、装飾性が高い建築物でした。

<平遥での晩餐会>
 平遥での夕食は賑やかなものとなりました。ここでも旅行社の夕食をキャンセルしての、S.P.先生主催の晩餐会でした。平遥では、ホテルのレストランで適当な場所が無いらしく、唯一といわれる市街地のレストランでした。
 その席には、S.P.先生の旧知の皆さんが揃われました。平遥市の文化局長や宣伝部長、著述業の方(多少、肩書きは違っているかも知れません)などでした。女性カメラマンも同行されていて、カメラ取材を受けました。地元の新聞に掲載されるようでした。
 メンバーの中に、醸造所の責任者の方も見え、小さなグラスに、その会社で作られた酒を注いでは、「乾杯」が続きました。「乾杯」を言った以上、飲み干して、そのグラスの底を見せなくてはいけません。
 乾杯のお酒は、その会社の汾酒、「竹葉青酒」でした。白酒の一種です。45度ですから、ウイスキーよりも強いお酒です。癖が無い飲みやすい酒でした。全員、ホテルにお土産としてこのお酒が届きました。改めて謝謝。食事は麺類が多く、黒酢をたっぷり使って食しました。記念写真を撮って、晩餐会はお開きとなりました。


  僑家大院で
 提灯は灯され軒に懸られて古き時代の呪縛暗示す

 ドラマ見し後で尋ぬる大院よ人の多きに我に帰りぬ

  平遥古城で
 石の門潜りて時は砕け散り古城の街に遊ぶ一日よ

 夢の中復夢を見る如く古城の時は夢か幻

 爆竹の煙従え飾りたる車列は潜る古城の門を

【旅行時期】2006/09/21~2006/09/27
【エリア】山西省
【テーマ】世界遺産・遺跡・秘境
【投稿者】旅人のくまさん

台湾(10.8)(by XYさん)

関帝廟
5日目

10時出発
高雄駅より
自強号ではなく區間車でのんびり1時間かけて
台南へ

台南市は台湾の発祥の地
台湾で歴史が最も長い都市
だそうで

今回の旅行で行くことを考えていた
旅客サービスセンターは分からず
Google Mapと「地球の歩き方」のみで散策
成功路を進む
赤嵌楼に行くためだ
駅より西700m程度で行ける
50元とられたぜ・・・
鄭成功のどこかで見たことある肖像画が飾ってあって
来たかいがあった
その南にはかの「度小月擔仔麺」があったのだが
擔仔麺たいしておいしくなかった
台北にもあるので次回は違うものを注文してみるかな

次は祀典武廟
台湾でも最も歴史のあり,関帝廟の総本山だ
その後台南運河を見ようと
府前路までいくのだがあまりに
驚きがなさすぎて運が散策を止めて直ぐ引き返した

誰もいない大南門
近くに「福記肉圓」と「莉莉水果店」に立寄った
後者ではじめてスターフルーツジュースを飲む

北へ進み台湾最古の孔子廟へ行った
と歩き続けた

北門路一段にたどり着いたところで
店が所狭しとあり
CDをあさっていた
安いとおもったら「二手」と書いてあったりもした・・
台南駅について帰ろうか迷った
が....
中山公園の方へ向かい
成功大学を見ることにした
ここには日本軍の基地があったそうで
その名残を目にしようと思ったのだ
光復校舎や礼賢楼はその当時の建物の代表格らしい
来た道を戻り
中山公園散策

駅より自強號で高雄

ホテルでシャワー しばし休憩

高雄の新堀江, 原宿へ
服だらけ
台湾の最先端?か
いろいろおいてあり
楽しかった
寒かったので「NET」で
パーカー購入


台湾最大のショッピングモールらしい
「夢時代」へ

凱旋站で降り
地上出口を出ると
ラッキー 丁度送迎用マイクロバスが来ていた

乗り込み向かう

見えてきた
阪急百貨店とセットでとにかく大きい
店は興味あるものもそこそこあった

台湾の高校生でちょくちょく持っていた
安いトートバッグを買った

閉店間近になり帰る

帰りに
ホテル近くにあったんだが
台湾各地で見かけた
85度というケーキ屋で
ケーキ購入 60NTD程度 安い・・・
味も悪くなかった


京城大飯店泊

【旅行時期】2008/10/04~2008/10/11
【エリア】台南
【テーマ】
【投稿者】XY

茘香尊酒家でランチ(by cocoronさん)

関帝廟
祖母の白寿のお祝いに横浜中華街、関帝廟正面にある茘香尊酒家に行って来ました。今年満で98歳になる祖母、今でこそほとんど毎日を家で過ごしていますが、20~30年前は「空飛ぶおばあさま」との異名を持ち、旅した国は約150カ国、海外旅行の合間には国内を隅から隅まで旅行していました。祖母の4トラ地図、見てみたいです。

【旅行時期】2008/07/24~2008/07/24
【エリア】みなとみらい・桜木町
【テーマ】グルメ
【投稿者】cocoron

2008年 元町・中華街をブ~ラブラ(by やっちまさん)

関帝廟
元町でお買い物とランチ(汐汲坂ガーデン)、そして中華街では関帝廟にお参りして中国茶ブレイク(悟空茶荘)しちゃおーなお出掛け記です。

【旅行時期】2008/08/31~2008/08/31
【エリア】関内・山下・伊勢佐木
【テーマ】ショッピング
【投稿者】やっちま

関帝廟関連エントリー

なんば関帝廟

... あれ知らん間に閉鎖されてたらしいですな。 結構行ったけど、平日夜なんてガラガラやったもんなぁ 場所の割には高かったし。 で閉鎖に伴い、そこにあった関帝廟が移設されたのが 堺筋沿い日本橋にある上海新天地。 ただ ...

なんば関帝廟

2009-3-8 夕暮れの関帝廟にて

... v 神奈川県横浜市中区山下町 横浜中華街 関帝廟にて PENTAX K10D 1~3枚目 HELIOS-44-2 58mm F2 ハイパーマニュアルモード、絞りF2.8、WB太陽光、ISO100 ... v 関帝廟、なかなかフォトジェニックな雰囲気に撮れてますね。 ...

2009-3-8 夕暮れの関帝廟にて

横浜市:中華街関帝廟

... 来年に望みをかけて!今回は関帝廟の中国らしい彫り物をご覧下さい。 関帝廟のHPからの抜粋ですが「横浜関帝廟は明治6年(1873年)居留民によって、横浜市中区山下町140番地付近に日本で最初の小さな廟が創建されたのが始まりです。 ...

横浜市:中華街関帝廟

横浜中華街 関帝廟

火の気の強いパワースポット 横浜中華街 関帝廟 悪運・悪縁切り などに効果 大 まず受付でお線香を買い、本殿回廊にある1~5番の番号がついた香炉に 願い事を告げて、 線香を1本ずつ捧げて身を清めます。 その後、本殿内に入って参拝。 ...

横浜中華街 関帝廟

横浜市:中華街関帝廟

... 来年に望みをかけて!今回は関帝廟の 中国 らしい彫り物をご覧下さい。 関帝廟のHPからの抜粋ですが「横浜関帝廟は明治6年(1873年)居留民によって、 横浜市 中区山下町140番地付近に日本で最初の小さな廟が創建されたのが始まりです。 ...

横浜市:中華街関帝廟